新田義貞
新天皇、尊良親王を奉じて北陸へ向かった新田義貞は、尊氏方の越前守護、斯波高経によって路を塞がれたり、異常な寒さに遭うなど、苦労して金崎城(福井県敦賀市)に入った。在地の領主たちは恒良を天皇として迎え、恒良も綸旨を出して各地に軍勢の催促をしている。しかし恒良が天皇になったことがあまり知られていなかったためか、軍勢は集まらなかった。
孤立した金崎城は斯波軍、次いで高師泰軍に攻められて、食糧不足のなか建武4年3月に城が落ちた。尊良親王と新田義貞の嫡男義顕は自殺し、恒良は捕らえられて京都に送られ、翌年殺されたらしい。義貞は逃れて国府南方の杣山城(福井県南条町)に入った。1年あまり経って、斯波氏と戦う戦力を集めた義貞は、斯波高経を攻めるために進軍中、歩兵が放った矢に眉間を射られ自害して果てた。
日本の歴史7 小学館 より