|
|
|||
| 貞和3(正平2、1347)年8月、楠木正行(まさつら)は河内・藤井寺で細川軍を破った。幕府は援軍として山名軍を派遣したが、天王寺・住吉の戦いで再び楠木正行に敗れた。これによって内政を進め、秩序の回復を目指していた足利直義は政治的窮地に陥り、幕府も軍事的に追い込まれた。 翌貞和4年正月、高師直・師泰兄弟は河内の四条畷の戦いで南朝方を破り、楠木正行は戦死した。その後高師直は吉野に向かい、後村上天皇を奥深い西吉野・賀名生(あのう、奈良県五條市)に追い込んだ。これによって執事兄弟の発言権が大きくなった。 貞和5年閏6月、足利直義は尊氏に高師直を罷免するように求めた。さらに上杉重能、畠山直宗らと師直の暗殺を計画したという。これに対して、高師直は足利直義を攻撃する準備を始めた。 8月、足利直義はわずかな一族、近習を伴って尊氏邸に逃れた。高兄弟は大軍で尊氏邸を取り囲み、尊氏は「主従の礼儀」を忘れた「累代の家僕」の行為に激怒したという。 日本の歴史7 小学館 より |
|||