明からの使者
1368年、明を建国した洪武帝は周辺諸国の長に使者を派遣して建国を告げ、答使を求めた。
日本への使者は11月に派遣されたが、途中で殺されてしまった。翌年2月、改めて楊載ら7名が日本に向かった。洪武帝の詔書の内容は、明の建国を知らせ、倭冦の禁圧と臣下として従うことを表明する「表」の進上などを求めるものだった。そして要求に従わない場合は、日本に軍隊を送って「その王を縛る」とも記されていた。
使者が着いたのは太宰府。懐良親王は楊載と1人を残して5人を殺した。楊載と1人は拘留された後、釈放されて明に帰国した。
日本の歴史7 小学館 より