琉球国中山王
日本とは別の歴史をたどった琉球は13世紀頃から有力な按司(あじ・領主)が現れていた。そして14世紀中頃になると今帰仁(なきじん)グスクを中心とした山北(北山)、浦添グスクの中山、島尻大里(しまじりおおさと)グスクの山南(南山)の3つの勢力に分かれていた。
それぞれの地域に大陸から大量の陶磁器などが運ばれ、華僑によってアジアの交易の基地となり始めていた。
応安3(建徳元年・1370)年、洪武帝の使者として趙秩とともに太宰府に来ていた楊載は、琉球のことを聞いて太宰府から中山へ向かった。楊載から報告を聞いた洪武帝は、楊載に再び琉球へ行き、進貢を求めるように命じた。1372年に楊載が中山を訪れると、中山王察度(さっと)は準備を終えていて、すぐに使者を派遣した。洪武帝は察度を「琉球国中山王」として冊封した。
1380年には山南王が、1383年には山北王がそれぞれ冊封された。
琉球の三山の王たちは、明の優遇もあって頻繁に入貢した。洪武年間(1368〜98)、冊封された後、中山王は32回、山南王が13回、山北王は12回入貢している。
日本の歴史7 小学館 より