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| 1371年明の朱元璋は外交関係を結び、貿易を始めるための使節を太宰府に派遣した。そのころ九州は後醍醐天皇の皇子懐良親王がおさえていた。その後室町幕府は今川了俊を九州探題に任命し、懐良親王の勢力を破った。 1401年足利義満は明に使節を派遣した。正使は側近の僧祖阿(そあ)、副使は博多商人肥富(こいつみ)だった。 翌年明は返書を送り、義満を日本国王と認め「日本国王源道義(道義は義満の法号)」と宛名を書いて、明の暦とともに義満に与えた。 中国を中心とする国際秩序に従い、日本国王が明に臣従することになっている。日本国王が明の皇帝に朝貢し、それの返礼として従属した形式で行われる貿易だった。朝貢貿易 1403年義満は「日本国王臣源」と署名し、中国の暦に従った日付が書かれた国書を送り明の勘合を得た。 また明は倭冦の取り締まりも求めている。 ナビゲーター日本史B |
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