石見銀山
1520年代、日本海を出雲へ向かっていた博多商人神谷寿禎は山の中腹に光るものを見た。1526年神谷は技術者とともにその場所へ行き、そこには大量の露出した銀鉱石があった。1533年、博多から二人の朝鮮人技術者(宗丹、桂寿)が派遣され、灰吹き法で銀が抽出された。
それまで銀を輸入していた日本は一転して銀の輸出国となった。石見を含む地方を支配していたのは大内氏、以後博多商人神谷一族と組んで明との貿易に関わっていった。
一方明は銀の不足で苦境に立っていた。それまでの里甲制などの矛盾が広がり、それを補填するための銀の絶対量が不足していた。明は海禁政策をとり、寧波の乱などで対日感情は悪化していた。日本が求めていたのは銅銭と生糸だった。そこで活発になったのが密貿易とポルトガル人による中継貿易だった。

中国の歴史9 講談社