美濃斎藤氏を破る
信長は斎藤道三の孫齋藤竜興(たつおき)を破り稲葉山城に入った。そして城を岐阜城と改名し「天下布武」の印判を使い始めた。
米の生産力の高い濃尾平野を支配下に置くことで経済力、軍事力を強めることができ、城下の加納に楽市を実施して商業の発展を図った。
信長は1576年に安土に移るまでここを居城とした。
齋藤竜興は越前の朝倉氏のもとに逃れた。

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日本史B用語集 より