山崎の戦い
毛利氏と戦っていた羽柴秀吉は高松城を攻めで苦戦し、信長に援軍を求めた。そのため信長が安土城を出て京都の本能寺に滞在していたときに本能寺の変が起きた。
秀吉は本能寺の変を知ると、急いで毛利氏と講和を結び京都へ向かった。「中国大返し」と呼ばれる。山崎天王山で明智光秀を破った秀吉は、信長の後継者としての地位を築いていった。
この戦いを前に大和の大名筒井順慶に秀吉は使者を走らせた。一方光秀からも誘いがあり大きな領地を約束された。迷った順慶は大軍を率いて戦場を見下ろす石清水八幡の山(洞が峠)で戦況を見て、秀吉側の勝利を見てから山を下り、織田三七の陣で戦勝を祝った。「洞が峠をきめこんだ」

ナビゲーター日本史B
街道を行く17 島原・天草の諸道 より